ぼくの仕事
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29日は当麻寺へ牡丹を撮ろうと思い立ち、出かけましたが、満開のピークはとっくに過ぎ去っていました。でも、古寺の雰囲気にひたることのできた一日でした。牡丹のいいショットは撮れなかったですが、これは帰りのプラットホームで、シャッターボタンを偶然押してしまってできた傾いたカットです。
「時」
時は川の流れなどに喩えられ
それはひたすら
過ぎ去っていくものだ
と子供の頃から教えられてきた
しかしやがて
愛(いと)しいものが横に来て
重ねた手のその温かさのために
人は気がついてしまうのだ
時は
この世の始めから終わりまで
まるで動かないでいて
過ぎ去るものは
むしろ私たちであると
一切であると
だから君を愛するのだと
(尾崎記)
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3/28(土)に、事務所近くの、堀川小学校の塀にそって並んでいる鉢植えのパ
ンジーを撮りました。
パンジーは、子供や子犬が笑っている顔に見えてしまいます。風にそよぐとなおさらです。
都会は、失われてしまった自然の記憶の断片を、季節が変わるごとに、ひろい集めているよ
うです。
(尾崎記)
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2月15日の日曜日、鳥取の砂丘を撮影しました。
15年ほどまえのカメラマン時代、舞台の撮影(合唱?)の合間に砂丘を撮影しており、とても懐かしかったです。舞台が終われば何百人の記念撮影をするわけです。数十個のフイルムをカメラバッグに詰めて大阪に帰ることになります。過去のざわめきを自分ひとりが抱えていると思うと、すごく寂しくなってしまう夜中の帰路でした。
僕の場合ですが、ちょっと気障なこと言いますが、(たとえ誰も理解しないとしても)詩を書いているよりも、(たとえ褒められるとしても)写真を撮る方がずっと孤独です。笑
(尾崎記)
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仕事納めの29日、関中子さんの詩集『しじみ蝶のいる日々』が印刷会社からできあがって来ました。編集の過程で何度も読ませていただきましたが、「詩を書き続けていくことと、生きていくこと」の覚悟みたいなものを教えていただきました。それはどんな覚悟ですか?…ときかれてもこまるのですが、詩人として名をあげるとかという力んだことではなくて、たとえば花なら花を咲かせるとか、赤とんぼならその花にとまるとかとても慎ましい ことです。
…と、いうことでちょっと無理があるのですが、季節はずれですが、蓮の花と赤トンボ?の写真を今年最後の僕の写真としてアップさせていただきますね。来年は早々に広角レンズを買って、写真詩というジャンルに挑戦するつもりです。
今年一年ありがとうございました。来年もますますよいお年でありますよう、お祈り申し上げます。(尾崎記)
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昨日の夜は六時より阿部野橋で、水口洋治さんが講師で月に一度の 「詩の実作講座」がありました。真由美さんも祐二さんも僕も参加し活発に発言しました。八時ごろ、みんなと別れたあと、昨日の真由美さんに負けないように、フープのルミナリエを撮影しました。写真はグッチのウインドウに映り込んだクリスマスツリーや電飾や人々です。若い人が多くて阿倍野界隈では垢抜けた場所にもかかわらず、三丁目の夕日の「昭和」が写ってしまいます。
(尾崎記)
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イリヤのヨン様です。
今週の土曜、文学学校の川上明日夫先生の新しい詩集『雨師』の出版記念会があり、今夜はその「挨拶」を考えていました。人前で話すことなど、若い頃から苦でした。
でも、自分に許されている時間の、限りあるということが身に染みて感じるようになった昨今、失敗すると恥ずかしいということより、不格好でもよいからその時その時を、自分の形で咲ければよいな~と思うようになりました。
みなさん、おやすみなさい。
(尾崎 記 )
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