当麻寺
29日は当麻寺へ牡丹を撮ろうと思い立ち、出かけましたが、満開のピークはとっくに過ぎ去っていました。でも、古寺の雰囲気にひたることのできた一日でした。牡丹のいいショットは撮れなかったですが、これは帰りのプラットホームで、シャッターボタンを偶然押してしまってできた傾いたカットです。
「時」
時は川の流れなどに喩えられ
それはひたすら
過ぎ去っていくものだ
と子供の頃から教えられてきた
しかしやがて
愛(いと)しいものが横に来て
重ねた手のその温かさのために
人は気がついてしまうのだ
時は
この世の始めから終わりまで
まるで動かないでいて
過ぎ去るものは
むしろ私たちであると
一切であると
だから君を愛するのだと
(尾崎記)
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