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祐二さんの今月の詩、アップです。

「カーニバルの夜」をアップしました。不思議なイメージの連鎖ですが、妙に生々しいリアリティがあります。白い衣のひとりの女とは誰なんでしょうか? 光の堤とは、どこなんでしょうか?

くりかえされている日常性には、かえってリアリテイを感じにくく、だからこそ我々は、映画館やテーマパークで、非日常的なリアリテイを求めてしまうのでしょう。

中沢新一さんというちょっと怪しげな匂いもある宗教学者?は、「人間がいまほんとうに求めているものは、自分の生命とのリアルな接触である」と述べました。そして「死」こそがが絶対のリアルであり、人間はその絶対のリアルをとおして、生きる意味のリアルを考えることができた(「リアルであること」より)としています。「リアルであること」のすべてを「死」に収斂さすことはやりすぎですが、「そこにモノがある」ことの現前性のみが、リアルのであることの全体ではないですね。

人間のみならず命には進化や歴史があることは確かです。が、生と死の二元論ではその力動のみならず、多様な命そのものの現象を説明できません。死なないで生きるということ以上の過剰性、(たとえば花ひとつの美しさ=受粉には関係ない人にも美しい)が生命であるからです。

社会に目を転じると、ほんとうに未曾有の不況が来るのか、あるいは政策的に回避できるのか、今年から数年の間は、「リアル」であることがトレンドになると思います。バブル経済が破綻した数年後の1995年、阪神淡路大震災やオーム真理教のサリン事件あたりで、目を覚まさなくてはいけなかったのですが、日本人はずっと眠りこけていたのですね。

さて、豊かな夢をみることが、たとえば花が咲くのにも似た覚醒の条件であると、僕は思います。その是非はともかく、詩は体で感じるところの思想でもありますね。とにかくイリヤの詩は言葉はやさしいですが、じっくり読むとなかなかのものですぞ…では、祐二さんの詩を楽しんでくださいね。              (尾崎記)

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